海暮れて鴨の声・・芭蕉 ― 2020年05月02日 13:04
出口の見えない新コロナ禍にあって、外出自粛の毎日。句会の再開がいつになるか五里霧中状態ですが、松尾芭蕉に関する記事をアップしましたので、よろしくお付き合いください。(コロナに負けるな!)
松尾芭蕉には名句と言われる句が沢山ありますが、私の一番好きな句はこれです。
海暮れて鴨の声ほのかに白し (野ざらし紀行)
19世紀フランスを代表する詩人にアルチュール・ランボーがいますが、彼は「母音」という詩で、母音のそれぞれに色を与えています。
A(アー)黒 E(ウー)白 I(イー)赤 U(ユー)緑 O(オー)青
という具合です。17世紀の俳諧師松尾芭蕉が、音に色を与えた点で、後のフランスの詩人ランボーと共通している点が面白いではないですか。
『新潮日本古典集成 芭蕉句集 今榮藏(こん
えいぞう)校注』では、次のように書かれています。
―冬の海が寒々と暮れて薄明の彼方に鳴く鴨の声が、どこか仄白い感触を孕んで聞こえてくる。
<冬-鴨 鴨の鳴く声を仄白いとする幻想的な把握が冬の海のうそ寒さと作者の寂寥感とを感覚的に呼び起す。すぐれた感覚句。>
つまり何が白いのかと言うと、鴨の声が白い、という解釈ですね。
ところが、同じ新潮日本古典集成シリーズなのに、『芭蕉文集 富山奏(とやま
すすむ)校注』では、次のように書かれています。
―海原は夕暮れて一面に薄暗くなった。その中に餌(え)を求めて飛び立つ鴨のしわがれ声が響く。その方を透かして見ると、なお海上に幽かな白さの漂っているのが見える。
<芭蕉が感動したのは薄暮の海上の微光の神秘的な印象である。>
鴨の声が主題と読むのは<誤解>であるとも書いています。
著名な国文学者である今榮藏、富山奏のお二人の解釈がこんなにも違っているのが一つの驚きであり、それが俳聖とも称される芭蕉の句に関してである点がさらに面白く感じられます。
思うに、俳諧(俳句)に限らず、文学の世界とはこういうものなのでしょう。お互いに相矛盾する解釈でも、それを両方共に許してしまう。何故なら、作品世界はそれを読む人の心の内にあるものであり、それ以外にはどこにもないものだからです。
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